2018年10.8。この日新日本プロレスに激震が走った。
内藤哲也を中心に、彼の「パレハ」で構成された大人気ユニット、
「Los Ingobernables de Japón/ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」
に、新たなパレハが加入しました!
その正体は、なんと、
大会前日に、「Dragon Gate/ドラゴンゲート」を退団し、フリー宣言をしたはずの、
鷹木信悟選手でした!
そこで今回は、ドラゲーから新日本移籍、そしてロスインゴ入りまでのいきさつを見ながら、鷹木信悟選手を考察していきたいと思います!
◆鷹木信悟 ドラゴンゲートを退団!?14年の歴史に幕
鷹木選手がドラゴンゲート退団を発表したのは、退団1ヶ月前の9月7日。
ドラゲーのオフィシャルブログを通じてフリー宣言をしました。
→そのブログはこちらhttp://spora.jp/dragongate/posts/608030
このコメントを見る限り、鷹木選手はある思いをずっと募らせていたことが伺えます。
それは、
他団体への参戦。
現在、様々な団体が活動しているプロレス界。
コアなファンを抱える団体も多いですが、やはり新日本プロレス一強というのは揺るぎない事実です。
なので、インディーズ団体は、対抗戦や交流戦、もっというと選手レベルでの参戦・提供試合なんてのがあるのがザラです。
しかし、ドラゴンゲートは昔から、他団体との交流戦が圧倒的に少ないんです!
これは団体の方針なのでしょうが、ドラゴンゲートは完全に独自の進化を遂げた、そう、
ガラパゴス団体なんです!
前身団体である「闘龍門JAPAN」から、ルチャ・リブレスタイルに特化し、スピーディで展開の早いプロレスを売りにしていたこの団体。
ドラゲーならではの特徴が2つあります。
1つは、ルールとリングに関すること。
ドラゴンゲートには「タッチ」の概念がないという事です。
スピーディな展開の中で、パートナーと交代する時にタッチをすることでテンポが崩れることを忌避し、タッチをせずとも試合権利が移動する、というより、
試合に参加している全員が権利をもっているというルールになっています。
そしてそのスピーディさをより演出するのが、リングの大きさ。
ドラゴンゲートのリングは、他団体のリングより小さめに作られています。
それは、ルチャの本場・メキシコのリングをモチーフにしており、平均身長が低い選手が多く、選手の動きをより激しく魅せるために小さく設計しているんです。
闘龍門JAPAN時代には、神戸のライブハウス、「神戸チキンジョージ」という場所で定期的に試合をしていました。
ライブハウスという狭い空間のなかで、リングサイドにお客さんが張り付くくらいの距離感で行われる試合は、さながらパンクバンドのライブのようなものでした!
このスタイルを売りにしている為、他団体へ参戦すると、この「タッチの概念の差」や
「リングの大きさの違い」がマッチアップに影響し、いい試合が生まれにくい。
ともすれば参戦した選手の価値が下がるかもしれない、ということで他団体との交流は慎重に行ってきたと考えられます。
そんな中、2006年頃を境に、団体の「開国」を宣言します。
新日本プロレスの初夏のシリーズ「ベストオブザスーパージュニア」を始めとして、様々な団体へと選手を派遣していきます。
しかし、そのラインナップに鷹木選手の名前が挙がることはありませんでした。
というのも、やはり、他団体へ出して結果が残せる見込みのある選手を派遣するというのが、団体の方針であり、もっというと「親心」でもあったのだと思います。
創成期からの選手ならば、団体の信頼もあります。
売り出し中の選手を出すのならば、ベルトを持っていないタイミングで出すというのも、フロント陣の考えであるのも当然です。
ですから、望月成晃選手やドン・フジイ選手ら、ベテラン勢に加え、若手だったら、
ベルト戦線から一旦離れていたB・Bハルク選手などを外へ出すことはありました。
鷹木選手は、B・Bハルク選手と同期ですが、当時はまだ格下扱いで、他団体へ出向くことはできませんでした。
というのも、鷹木選手に、ドラゴンゲート内で地位を確立させて欲しかったという狙いがあったからだと思うんです。
実際に、オープンザドリームゲートを獲得したり、ユニットでの存在感も発揮していったのも、この時期からなんです。
そんな思いとは裏腹に、ドラゲー内の鷹木選手の影響力は年々高まっていきます。
世代闘争の中心人物であり、ハルク選手との同期対決をやれば必ず名勝負が生まれるという、ドラゲーにおける「鷹木時代」は徐々に確立していきました。
しかし、鷹木選手に大きなチャンスが舞い込んできます。それは、
チャンピオンカーニバル出場!
他団体へ出て、自分の力がガラパゴスなものではないという証明がほしいという思いは積年していた鷹木選手にとってはうってつけの機会。
チャンピオンカーニバルは、全日本プロレス伝統の春の祭典。
昔は、全日本所属の選手で争われたこのタイトルですが、秋山準社長になってからは、他団体やフリーの選手を多く起用し、今までとは違う、プロレスファンをわくわくさせる大会となりました。
諏訪魔選手をはじめ、石川修二選手、ゼウス選手、火野裕司選手、ボディガー選手
といった実力者揃い。
新日本の選手のような、
派手さはないが実力は新日本以上とも言われる、この人々を称賛する意味で、
今大会は、
昔のパ・リーグのようなチャンピオンカーニバル!
と言われていました(笑)
ここに参戦した鷹木選手はなんと、
開幕戦で、当時三冠ヘビー級王者であった、宮原健斗選手から勝利を奪います!
さらに、リーグ戦2位という結果を残しました。
ドラゴンゲートの選手は、階級で言うとJr.ヘビー級の選手ばかり。
チョップやラリアットの打ち合いを鷹木選手とやり合える選手はほとんどいません。
それに比べ、石川修二選手やジョー・ドーリング選手などの190センチ代のスーパーヘビー級の選手などとバチバチにやりあった激しいリーグ戦。
ここでの戦いは、鷹木選手に大きな影響を与えたことでしょう。
その1か月後、ドラゴンゲートに大激震が走ります。
2018年5月、CIMA選手を代表とする新体制になり、さらにCIMA選手をはじめとする主力選手がドラゲー本隊から離れて、他団体やアジアの団体に参戦するということになりました。
おそらく、このことが決定したのはチャンピオンカーニバル前でしょう。
既に新体制が機能し始めている最中だったからこそ、鷹木選手はチャンカー参戦が可能になったのでしょう。
そしてその思いは留まることを許しませんでした。
2018年9月。ドラゴンゲートの公式HPから、退団の発表がありました。
印象としては、当然かな、というところでした。
チャンピオンカーニバルでの活躍も新しい記憶でありましたし、チャンカーの楽しみの
一つである、敗退選手たちによるタッグマッチでも、リーグ戦で当たらなかった選手たちとのマッチアップも魅力的でした。
これからは全日本に参戦していくのかな、と、プロレスファンとして楽しみな展開になるなというところでした。
◆鷹木信悟、「引退するわけねえ!」。堂々たるフリー宣言。
10月7日をもって、ドラゴンゲートを退団した鷹木選手。
その当日は、ドラゴンゲートの博多スターレーン大会でした。
福岡大会といえば、ドラゴンゲートにとっても、鷹木選手にとっても特別な場所。
福岡のフジテレビ系列のテレビ局・TNCは、闘龍門時代から唯一地上波でレギュラー放送をしたテレビ局なんです。それ以降、年に一度しかなかった大会の数も増えるなど、福岡は、関西・関東に負けないくらい、ドラゴンゲート人気が高い地域なんです。
そして、鷹木選手は、この博多スターレーン大会でデビューした選手なんです。
そんな思い出の土地で迎えた鷹木選手の、ドラゲー最後の試合は、同期であり、ライバルである、
B・Bハルク選手とのシングルマッチ!
これまで幾度となく対戦してきた2人。最後の試合であっても、手を緩めることなんてあるはずがありません。
鷹木選手が、バンピングボンバーと必殺のスープレックスを繰り出すパワーファイターならば、ハルク選手は、キック主体のコンビネーションラッシュを得意とするストライカーでありながら、フィニッシュホールドはトラースキックという、往年のアメリカのスターの要素を持った選手。
お互いがお互いの手のうちを知り尽くしているが故の真っ向勝負!
それを制したのは、B・Bハルク選手でした!
試合後、リング上で会話をする2人。一度はタッグを組み、NOAHの至宝・GHCジュニアヘビー級王座に戴冠した歴史もある2人からは、照れながらも、お互いを認め、旅立ちの背中を押す言葉が自然と出てきます。
そして、硬い握手を交わし、それまでのしんみりした空気を吹き飛ばすかのように、
「引退するわけじゃねえ!どこのリングに上がるかわかんないけど、近い将来、また決着戦やるぞ!オマエとは終わりなしだ!」
という鷹木節がさく裂!
14年という長い歴史の中で生まれた友情。
会社がハルク選手を推していく中で、きっと生まれただろう嫉妬心。
その気持ちが自分自身を強くしていき掴んだ栄光。
そのすべての思いをぶつけ合ったラストマッチ。ここで、改めて、
「ああ、鷹木は旅立つんだな」と感慨深くなりました。
◆鷹木信悟がパレハ?ネットを炎上させた重大発表!ロスインゴに新メンバー加入か?
そんなドラゴンゲートの動向と全く関係ないところで、プロレス界に炎上レベルの激震がおきます!
10月2日、LOS INGOBERNABLES de JAPONの欠場中の髙橋ヒロム内藤を除く、全メンバーが、
YouTubeの新日本プロレス公式チャンネルにてを除くが登場し、「新パレハ」を予告しました。
10月8日の両国国技館大会での、6人タッグマッチで、内藤選手・SANADA選手のパートナーが「X」となっており、ここに「新パレハ」が登場するとみられました。
これを受けて、ネット上ではプロレスファンによる「新パレハ」予想が始まりました!
新日本内の別ユニットから誰か引き抜くのか?
それとも、海外遠征にでている若手選手か?
それとも他団体の選手か?
動画内で内藤選手が発言した、「一歩踏み出す勇気」
これは、内藤選手が直々に勧誘している可能性が高いことを示唆しています。
様々な選手の名が上がる中で、予想の筆頭に上がったのは、
鷹木信悟選手!
でした。
やはり、退団の時期、最終戦の次の日が両国大会。という事も相まって、
ダントツで、「鷹木新パレハ説」は広まっていきました。
その中で、面白い予想をする人もいました。
前の神戸大会で、外道選手に裏切られた、オカダ・カズチカ選手なんじゃないか!?
内藤選手との遺恨がある、タイチ選手が加入する線もある!?
ゴールデン☆ラバーズとバレットクラブエリートの微妙な空気をふっとばして、飯伏選手が電撃加入!?
などなど。
ここで、一つの考察。
内藤選手とパレハの関係には共通するものがあります。
それは、
「同門」ということ。
EVIL選手、BUSHI選手というオリジナルメンバーは、レスリング/プロレスの名門ジム
アニマル浜口レスリング道場出身なんです!
自分が培ったもの、経験に自信がある内藤選手は、同じ場所で修業した選手を仲間にしたかったのでしょう。
SANADA選手、高橋ヒロム選手らは、2人の後に入ったパレハ。様々な出会いのなかで、本当にいい選手を引き入れるために、選択肢を広めていったのでしょう。
それでいくと、オカダ選手や、タイチ選手などは現実味がないな、と思います。
では、飯伏選手は?
これも、まあない線ではあるんですが、内藤選手が大事にしている要素で、
「同級生」というのもあります。
内藤選手は昭和57年生まれということで、「57会」という同級生レスラーの交流会を開催しています。
大日本プロレス・岡林裕二選手や、デスマッチヤンキーの異名をとる宮本裕向選手。
なんと、バレットクラブOGの石森太二選手もこのメンツに名を連ねています。
そんななか、飯伏選手もこの会に参加しています。
飯伏選手が新日本とDDTの2団体同時所属になった頃(内藤選手はロスインゴ前の頃)、
内藤選手と飯伏選手は、同級生という事もあり、よく絡みがある2人でした。
しかし、それはリング上ではなく、メディア取材などが多かったんです。
飯伏選手が雑誌の取材を受けている時に、ふいに現れて、「飯伏さんはなんで本隊のバスに帯同しないんですか?2団体所属はVIPなんですか?」などという、仲がいいからこその
嫌味などを言ったり姿が多く見られました。
なので、「新パレハ・飯伏説」は、ダークホース的な予想ではありました。
が、それを打ち消したのが、その日のメインイベント。
IWGPヘビー級選手権試合3WAYマッチルール
ケニー・オメガVS CODY VS飯伏幸太
そう、メインでIWGPやるんです!
これはもう、飯伏説は消えたも同然ですよね。
さて、もう一度、ネットの予想を見てみると、やはり一番人気は鷹木選手。
先述した要素とも照らし合わせてみると、、なんと・・
鷹木選手は、アニマル道場出身かつ、同級生なんです!
もちろん57会のメンバーでもあります。
さあ、ライトファンの予想と、マニアックファンの予想はほぼ一致。
どうなる?両国大会!
◆鷹木信悟ついに新日本入り?移籍先は一体?
新日本プロレスは年に1回、東京ドーム大会を開きます。
そう、「イッテンヨン」ってやつですね。
しかし、昔は年に3回も開いていた時期があるんです!
恒例の1.4。そして4月と10月。いわゆる半期に一度、開催していたんです。
後に、福岡ドームや大阪ドーム、名古屋ドームと勢力を拡大していきました。
そこで開かれたビッグマッチは、新日本プロレスだけでなく、プロレス界の歴史に残る名カードが数多くあります。
4月のドームで言えば、プロレス界最大の遺恨マッチと言われる、
橋本真也VS小川直也 負けたら即引退!
あの、不穏な空気から生まれたこの遺恨。二人だけでなく、新日本とアントニオ猪木氏の関係まで影響が及んだ「事件」でした。
そして、忘れてはいけないのが、「燃える闘魂」アントニオ猪木氏が引退したのも、4月のドームでした。
10月のドームと言えば、やはり「新日本VS UWFインターナショナル」の対抗戦の大一番。
武藤敬司対高田延彦 !
新日本のイデオロギーが勝つのか、Uの系譜がそれを崩すのか。
「10.6」というのはプロレスファンには特別な日付なんです!
その他にも、長州力選手の「キレてないですよ」というモノマネが生まれた要因となった
長州力VS安生洋二戦
佐々木健介選手の「ポカした」という名言?が生まれた、
佐々木健介VS垣原賢人戦
という、プロレスファンでなくとも知っているであろう、「ワード」が生まれた日でもあるんですよね(笑)
そんな、何かが起きるドーム大会。
現在は場所を変え、4月、10月ともに両国国技館で開催されている、半期に一度のビッグマッチ。
そんな、「何かが起きる10月」の今回の目玉は、
史上2度目のIWGPヘビー級の3WAYマッチ・・・
よりもやはり、
ロスインゴの新パレハ!
いったい誰なのか?
ロスインゴの試合前に、鷹木選手のTwitterを見てみると、前日の試合でダメージを受けた目のアップ画像。白目の部分が内出血しており、激しい戦いであったことがうかがえます。
https://twitter.com/Takagi__Shingo/status/1049190531840925696
ここで、プロレスファンお得意の、深読み・・・
内藤選手の「あのポーズ」に似てるなー・・・
そして、前日のドラゲー・ラストマッチ後のインタビューで、
「どっかの団体の同級生が言ってたけど、ドラゴンゲートのおかげで”一歩踏み出す勇気”を貰った」
という発言。
意味深としか言いようがない・・・
などと思っていると、新日本プロレスワールドのブラウザ上は、物々しい空気に支配されていました。
会場のモニターには、「THE DRAGON」の文字、、、
藤波・・?
いやいや、ないない。
そうこうしていると、遂に、新パレハ登場!
L・I・Jパーカを着て、ロスインゴの象徴でもある、あの奇妙なマスク。
会場を練り歩く新パレハ。薄暗いなか目を凝らして見ると、その体はかなり鍛え上げられた筋肉でおおわれていることが微かに確認できます。
ロングタイツに屈強なボディ・・・
そしてついに、その男はマスクを外します・・・
鷹木信悟!
そう、やはり、新パレハは鷹木信悟選手でした!
もう、予想通りでしたが、その予想を裏切ってくるのがプロレスの世界。
そして、予想通りだったとしても、アガるのがプロレスの醍醐味!
そして、なんと鷹木選手。新日本へのあいさつ代わりと言わんばかりに、あの技を繰り出します!
ラストファルコンリー!
ドラゲー時代には奥の、奥の、奥の手としか使わなかった、超必殺技をブチかましたんです!
名前も変更し、「ラストドラゴン」という新必殺技へと進化!
こうして、鷹木選手は、ロスインゴ入りを果たし、初めてみる新日本ファンへ、最高のアピールが出来たんです!
◆鷹木信悟のその後の評判は?これからの人気は?
試合後すぐ、鷹木選手はTwitterを更新します。
「一歩踏み出す勇気」とだけ書かれ、ハッシュタグにはしっかり「njpw」が入っていました。
鷹木選手がSNSで炎上したのは今回が初ではありません。
ドラゴンゲート年間最大の大会、神戸ワールド記念ホール大会を前に、先述したCIMA選手の代表就任へとつながる、前社長からの「選手への代表権譲渡」発言があります。
この時に、鷹木選手はTwitterにてこのような発言をしています。
https://twitter.com/Takagi__Shingo/status/1013259605898489856
さらに
https://twitter.com/Takagi__Shingo/status/1013267282284310528
「プ女子」なる言葉を使って、プロレスファンが多くなることはうれしい反面、
なんでもかんでもカジュアルにしてしまい、リング上での戦いが、ないがしろになってしまう事を危惧したであろうこの発言。
事実、ドラゴンゲートは、プロレス界に珍しく女性ファンが多く付いた団体でした。
女性の「おっかけ」気質。いわゆる「オタク」な部分を触発する演出は、アイドルのコンサートやビジュアル系のライブのそれと遜色ないものでした。
だからこそ、ガラパゴスでいられたんです。
他団体と交流しない、といういい方は、交流するのが当然と思われていたインディーズ界と比べた時の話しであって、昔の新日本や全日本は交流していたでしょうか?
答えは、ノー。
ドラゴンゲートは自団体のみで大会が成立する数少ない団体。
2000年代以降のプロレス低迷期において、後楽園ホールやそれクラスの会場をフル使用して、満員にできた団体は、
三沢時代のNOAHや、武藤時代の全日本プロレスくらいで。
ドラゴンゲートは、現在の新日本一強時代においても常に会場は満員なんです。
他団体交流しなかった、というよりは、する必要がなかったんです。
そんな歴史が生み出した、「元祖プ女子」な人々。
いつしか、鷹木選手は、黄色い声援ではなく、怒号のような声援や、チビッ子の応援で会場を埋めたいという思いが募っていったのでしょう。
この発言をしたときは、おそらくまだドラゴンゲートにいるつもりだったのかな、と思います。本当にドラゲーを変えたかったんじゃないかと。
しかし、ドラゲーが示してきたこのスタイルを崩すことが本意ではない。
ならば、己が出る。
きっと、この思いをもって新日本にきたのでしょうから、これから「鷹木支持者」は増え続けていくでしょう!
◆鷹木信悟の現在の状況と今後の展開は?
2018年10月現在、新日本プロレスでは、Jrヘビー級選手によるタッグリーグが開催されています。
鷹木選手は、BUSHI選手とエントリー。
初戦を、ラストドラゴンできっちり押さえ、リーグを「驀進」していくことは間違いありません。
1つ気になるのは、鷹木選手はJrヘビーでやるのかな?ということ。
ドラゲー時代は階級の概念がなかったのですが、鷹木選手は178センチ98キロ。
体重的にはジュニアですが、EVIL選手と身長は変わりません。
全日本のチャンピオンカーニバルでバチバチやり合っているのを見ると、やはりヘビー級でやって欲しいな、というのが正直な感想です。
恐らく、今回のタッグリーグ戦、ロスインゴからは、BUSHI選手と高橋ヒロム選手がエントリーする予定だったはず。
しかし、高橋選手は復帰未定の欠場中。
BUSHI選手もはっきり言っているように、鷹木選手がヒロム選手の代わりではないことは確か。
鷹木選手のロスインゴ入りが確定したのが先なのか、高橋選手の欠場が先なのかはわかりません。
ヒロム選手が欠場しなければ、鷹木選手のロスインゴ入りはなかったのか?とも思えます。
ヒロム選手が出場している状態で、鷹木選手がロスインゴ入りしたら・・
恐らく、鷹木選手は体重を増やしてヘビー級でやっていたでしょう!
更にいうと、内藤選手とのタッグで、G1タッグリーグにもエントリーできるんですから!
・・・など考えると、やはり鷹木選手のロスインゴ入りは新日本にとって最高のスパイスになったと思います。
個人的には、まずはジュニアヘビー。そして、ヘビー転向を果たしてほしいですね!
これからの鷹木信悟から目が離せません!